不都合なことが起きたとき、あなたはどう捉えていますか?

 今までの生き方の中で得てきた習慣からくるズレでしょうか?
 周りの変化により、自分の思考が付いていけない状況から起きる不都合でしょうか?

 わからないことが起きていたら、わかるようにして道筋を立てられると生きやすいですよね。
あなたは毎日ごはんを箸で食べているように、習慣化した物事はイメージしやすく、その頭で描けている通りに行動するだけでうまく箸を使い、食事を取ることができます。
 ただ起きたことのないことが目の前で起きると、どうしたらいいのかわからず、フリーズしたり、答えを探し始めます。

 自分軸の中で、わからないことが起きたとき、答えが出やすい問題であれば、以前起きた似た知識の中で答えを探り、導き出して「わからない」変化から「わかる」「できる」自分へと変わり、進化・成長していくプロセスを、日々繰り返して、人は成長していきます。

 情報を得るときに一つ危険なことは、問題と答えを同時に流す、テレビやラジオや新聞、学校教育などの思考を使わない情報を鵜呑みにしてしまうことです。
 鵜呑みにしてしまう情報が本当に正しいのか、相手の都合のいいように社会をコントロールしようとしているのか、わかったつもりになってしまうような誤った習慣を持ってはいけません。
 私たちの左前頭部の脳の本来持つ機能が低下してしまうからです。
 それはパソコンやスマホを使用するときでも同じことが言えます。
 何も考えずに流れてくる情報を、まずは正しいのかを判断する。
 特にテレビから流れてくる、ニュース、ドラマなどからスポンサーに都合のいい誘導しようとする情報が流れてきて、そのスポンサーの都合で私たちは考えもせずに操られてしまう危険性があります。
 テレビによって日本のアイデンティティが随分と歪められ、誤った情報の価値観が植え付けられているという認識はありますか?
 使わない機能は脳であっても、感情であっても低下していきます。
 誤った情報は間違った方向へ人を導いてしまい、感情にしても生き方にしても価値観を歪められてしまいます。
 それは意識的に感じられることから、無意識的なことまで。
 ただわからないままの問題であれば、わからない環境に依存しなければならなくなるので、必要な情報はYouTubeやX、本、講演などから正しいと感じる情報を見分けて収集し、自分の軸として価値観を正すことは必要です。

 私たちが生きているということは、父親がいて、母親がいたからで、その中で「わかる」「できる」へと進化して今があります。
 それは肉体的にも、精神的にも言えることで、日々食べてきた食事によって、命が支えられ、運動の量によって肉体の変化が起きています。
 果たして今の食事は安全だと言えますか?

 例え病気になって寝たきりになっても、退院できて運動できれば運動した分、元に戻ることができるし、また成長も可能ですよね。
 また年を取って、体に変化が起きても、それなりの運動ができれば、私たちの体はその環境に順応し、山岳地帯でも日々生き続けることもできます。

 今生きている中で、わからないことが起きたとき、どこまで視点を広く持ち、知識を付けよう、体力を付けよう、トレーニングをしてうまくできるようにしよう、誰かに聞いてわからないことをわかるようにしようという柔軟な行動ができるかは、今の肉体の持つ限界を知る必要があるし、行動に対しての自分のメンタル・意志が今までの経験からくる知識の中で、行動しようという意欲が持てるか持てないか、その行動が自分の生きたい正しい方向を向いているかを内観しながら、なりたい自分を作り出した結果が、今の自分であり、これからの自分です。

 わからないことを見なかったことにする、なかったことにするっという分類を私たちは頭の中で、自動で日々分類処理して、必要なものだけを受け取る習慣があります。
必要だと意識を向けたテレビのCMを見た時点から、知っているものを信用する、安心感が持てるような気になります。
 今までの社会生活の中で、知っているものは信用できるが、知らないものは信用しずらい傾向にあり、私たちは知っている物事の中で、安心・安全なものを選択できているという「わかる」「できる」中で、イメージしやすい物を手に入れているという変化のない、心地のいい現状維持のマインドの中で生きようとします。

 現状維持の生き方、コンフォートゾーンでの生き方は生きやすく、では、その生きやすい生き方がどうしたら手に入るかが、私たちが生きる上でとても大切な生き方であり、在り方でもあります。
 ただ問題がわからないまま原因を追究することなく、わからないまま物事が放置され、本来の行動ができていないために不都合なことが起きているのかもしれません。

 今をどの視点に立って世の中を見るかでも、かなりの違いが出てきます。
 自分を軸に置いたとき、分類するとすれば、依存、自立、協力し合い助け合いの、3つの状態のどれかに分類することできます。

 例えば、子供が補助輪なしの自転車に乗れるようになるには、子供のある程度の体力と、危険を察知してどうすべきか判断できる経験が必要で、その能力・知識が揃い、誰かが乗り方を教えることで、筋肉の使い方や、視線の向け方をマスターし、依存から自立へ変化し、その子が親になったときにまた自転車の乗り方を教えて、乗れるように協力してあげられる存在となっていけるように、世の中の全てのサイクルがこの3つのことからできており、その物事を一つ一つ作り上げ、積み上げてきた物事が、今自分の目の前にある物質的な現実が作りあげられています。


 もう少し今の視点を広げて行きましょう。

 私たちは、どのように進化してきたのかを単純に考えると、今の自分が進化の答えとなります。
人ぞれぞれの進化の過程で、地球上の生き方によって大きさや、得意なこと不得意なことが身体面でも精神面でも違うし、五感で感じられる物事が違い、文化もアイデンティティが違います。
 ただ同じように空気を吸って水を飲んだり食事をしたり火を使い、子を育てて家で暮らしています。
 私たち日本人は他の地球で生きている人達からすると恵まれているように感じませんか?

 恵まれている環境の中で、命が育まれて、アイデンティティが引き継がれて...
 その豊かさを感じ取ることができていますか?

 今の社会の豊かさの価値観はお金でしょうか?
 ある程度のお金は必要ですが、ある程度も無かったら何か買えることの豊かさを得ることができませんね。
 誰かのお金に依存する、自分で稼いだお金での自立、持っているお金で協力し合い助け合う。
  お金が中心にあり、お金と何かを交換することで何かすることができるので、お金の制限ができます。
 お金のない時代、私たちの祖先は不幸せだったのでしょうか?
 愛のある生活など育まれていなかったのでしょうか?

 きっと今私たちが生きているということは、今を先人から引き継がれ、築き上げてきた豊かさのある社会が維持された環境の中に、今の自分が生まれ育ち、お祭りや花火大会などの五感で感じられる物事で幸せも感じ取ることができ、人の持つ身体機能があるからこそ、今の自分が様々な環境の変化に適合・対応できる身体があり、精神があり、知恵を持って今生きることができている。そう感じませんか?

 私たちの命が育まれてきたことは、長い時代を旅してきたご先祖様が引き継いできてくれたおかげで豊かなこの日本で生活できることは間違いありません。
そこにまずは感謝できているかということが、私たちに問われてきます。
まずは「ありがとう」「ありがとうございます」と感謝ができていないのであれば感謝をしましょう。

 その上で不都合なことに対して、どうすべきかという問いに、まず一歩進んだことになります。

 その次に周りの環境はどうですか?どう捉えることができますか?
今の食生活、住んでいる環境、飲んでいる水、吸っている空気、一緒に暮らしている動物や植物たち、家族との関係、友人、学校、会社、いつも見ているテレビ・SNSなどから流れてくる情報、仕事内容も、勉強内容も、目指している物事もみんな違っていて、同じ方向を向いていたとしても、全く同じ人はいません。
 子供が泣いていたとしても、それをどう感じるかも人それぞれ違いがあり、それが普通の社会であり、私たちには、大きく分けると、社会性と自己性の二面性の性格があり、他から刺激を受けたときに、どうその刺激に対して、「わかる」「できる」の認知できた範囲でイメージが作られ、行動を選択して行きます。初めて起きた出来事であっても似たような記憶から意思を決めて行動しています。

 ある刺激に対して、何かを選択して行動したかは、自由意思であり自分が決めたと思っていますか?
 この段階で、私たちは与えられた情報の中で、生きています。
 なら情報が隠されているとしたら...知らない情報をイメージすることはできませんよね。

 私たちが実際に行動して、起きたことを目で見て、体感したことが起きたことであり、起きた結果の始まりがどこなのか、原因は何なのか、原因を作り出したものは何なのかがわからなければ、問題が起きたときに修正することができません。

 実際に病気になり結果だけ見て、対処療法だけで、何故その病気になったのかという原因がわからなければ、同じ病気になる可能性が残ってしまいます。
その原因がわかったなら、正せば同じ病気になることはありません。
変わらない生き方、コンフォートゾーンが本当に正しい生き方なら特に問題はありませんが、見えないところに気が付いたのなら、原因を作り出す根本を解決しなければ問題は起き続けます。

 その問題の視点を今のどこに当てるかでも、生き方を変えなければならないと感じてくることでしょう。

 私たちは常に変化しています。
 1日1日を生き、生きるために何かをしています。生きる中で様々なことを学び、その中で私たちの日本の文化の中で、ご先祖様から受け継いできた様々な物事が引き継がれてきました。
近代的ではなかった過去の歴史の中で良いアイデンティティが残され、神社やお寺や田畑や森など、いたるところに過去からの贈り物があります。
 私一人でも多くの人からの生きてきた生命力、生き抜くための知恵が刻まれたDNAを引き継ぎ、今を生きています。
 一人ではとても生きられないことに気づくことができます。
 誰でも協力し合い助け合いながら、家を建てたり畑を耕したり魚を取ったり働きながらも、神に願ったり感謝したりした名残が今もいたるところに息づいています。
 ご先祖様が常に感謝をして、自然の恵みに感謝をして、生かされていることに感謝をしてきた結果、私たちは生きている名残を感じ取ることができます。

 今の近代的な社会の中で、何が欠けているのかを原点に立ち返り、不都合なことを見直すことで、省みることで、自分の生き方、人としての在り方を日々の変化と共に、進化させる本来の在り方に進化させる必要があります。

 そして日々の暮らしに必要なものは植物であり、動物であり、この大地と共に、生き生きと豊かに調和して共存して生きること。
 すべてが地球であり、私たちもこの地球に暮らす生き物の一種族であることを認識することが大切です。
 
 ここまで掘り下げなければ、私たちに不都合が起きていることの解決策の答えまで、たどり着けないということを私たちは認識する必要があります。
 ここまで認識できた中で、あなたは今どんな行動が必要だと感じていますか?
 その答えを探すことが、必要だから不都合なことが起きたのでは?
 答えは必ず、あなたの中にあります。
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